『僕』は歩く。
 薄暗い灰色の通路。決して大きくはない、この通路を。
 『僕』は歩く。
 『僕』の出会った――『出遭った』の方が正しい気もするけれど――中でも、一番強い『彼女』と。
 『僕』は歩く。
 永遠にも似た長さを感じる通路、その終点たる一つの扉が見えてきた通路を。
 そして『僕』と『彼女』は辿り着く。
 まるで中に魔王でも封印していそうな、重厚感ある木製の扉に。
 そこまで来て、ようやく『彼女』は口を開く。
「ったく。なんだってアタシがこんなところに来なくちゃいけないんだ」
 今さら言っても遅いです。
 『彼女』はめんどくさそうに溜め息を吐く。
「ふー。この中か?」
 そう言って『僕』の方をチラリ。
「そうです」
「へっ。じゃあとっとと行こうか」
 言うや否や扉を蹴り飛ばす。
 なんていう開け方をするんですか、まったく。
 心の中でそう呟くものの、当然、『僕』の内心の呟きなど聞こえない『彼女』は、何の躊躇いもなく涼しい顔で部屋に入っていく。
 そんな『彼女』に呆れながらも後に続く。
 部屋に入ると、その光景に『僕』は思わず固まってしまった。
 『僕』の眼に映るのは、白と黒を基調としたチェック柄の部屋に、同じく白黒チェックのベッドとその上にある沢山のぬいぐるみ。
 そして、その白黒の部屋に溶け込むように座る一人の少女。黒いゴシック・アンド・ロリータに身を包み、艶やかに微笑んでいる。
 ――とても年下には見えないな。
 場違いにも少し感心している『僕』と『彼女』に少女は妖しく瞳を輝かせながら口を開く。
「――殺人姫さつじんきの部屋へようこそ」
 

 9 more and more


 熱風が顔に押し寄せる。
 息をしようとすれば、容赦なく熱気がのどに入り込み、のどが焼けんばかりに熱くなる。当然目も開けられず、皮膚がちりちりと熱い。
 しかしそれも一瞬。すぐに熱気は通り過ぎる。
 少しの沈黙のあと、
「……なんとかなったな」
 そう呟いて、俺はなんとか目を開けた。
 そして目の前に飛び込んできた光景に、思わず溜め息を吐いてしまう。
「……はぁ。散々だな……」
 眼前に広がるその光景は、本当にひどいものだった。
 もともと白く清潔感のあった実験室の壁は高熱で溶かしたかのように焼けただれ、プチビックバンが行われていた位置のちょうど真下はクレーターのような穴があり変形していた。さらにそのクレーターはまだ熱を持っているようで、シュウシュウと音をたてながら煙が立ち上っている。他にもいくつかの周辺機器が目に見える形で吹き飛び、無残にも壊れていた。たぶんこの様子じゃ他の機械も全滅してるんじゃないだろうか。
 なにより俺がなんとか間に合わせた防壁が完全に溶け、向こう側が見えている(様子がわかったのはそのせい)。恐ろしい威力だ。もし防壁が間に合わなかったかと思うと……ぞっとする。
 だが幸い、デバイスは無事のようで、溶けた防壁の手前に原形を留めながら鎮座していた。まあ、第一級術式掛けてもらってあるからな。
 俺はふぅ、ともう一度溜め息をついて立ち上がると、デバイスの方へ向った。
 いきなりのことに驚いて呆然としている生徒たちの間を抜け、デバイスを拾う。
 うん、ちゃんと動く。思いっきり投げつけたし、そのあとあの熱風だから心配だったんだが大丈夫だな。やっぱ、第一級は違う。
 俺はデバイスを仕舞うと、ぐるりと周りを見渡す。
 生徒たちは突然の事態についてこれないのか、呆然としている。
 研究員たちは危険な状態だと分かっていたらしく、涙を流して安堵している者もいる。
 先生たちは……極端だ。
 片桐先生は少し涙目で「良かったぁ」と安堵し、新村は立ち直ったのか平然としている。
 全く正反対だな。まぁ、みんな大丈夫そうでなによりだ。
 俺は先生たちから視線を外し、もう一度辺りを見て、気付く。
 そういえば……殺気の主――この間の黒フード、いや、『切り裂きジャック』はどこ行った?


  次の日、俺は前も使った公衆電話で爺と事の顛末について話し合っていた。
「――結局、小規模宇宙爆発プチビックバンの実験は当分取りやめか……」
『そうじゃの。あれだけ派手に失敗したからの、止められて当然じゃよ』
「そうだけどよ……」
 でもなぁ、どうもしっくりこねぇな。
『なんじゃ? 何か気になることでもあるのかの?」
「あ、いや、どうもな……今回の事件、なぁんか人為的、てか不自然ぽいんだよな」
『ほお……』
「確証はねぇけどな」
『なんじゃい、気になるの』
 そう言われても説明のしようがないんだって。
「まぁ、それは置いといてだな……」
 さて、そろそろ本題に移るか。
「……なぁ、『切り裂きジャック』が逃げ出したんじゃないか?」
『ほう……』
 この言い方は……残念ながら正解ってことか。爺は図星だといつもこう言うからな。
 にしても本当に逃げ出したのか……はぁ、憂鬱だ。
「クソ、最悪だなオイ」
『うむ。いまさら隠しても仕方ないの。お前には言わなかったが、もう1年以上前に逃亡したの』
「はぁ!?」
 1年! そんなに前から?
「なんで言わないんだよ!」
『極秘じゃったからの。WMOからAランクでの』
「だからってなぁ」
『仕方なかろ? 儂とて最近知ったんじゃからの』
「……最近ってどんくらい?」
『一週間くらい前かの」
「……それは最近とは言わねぇ」
『そうかの』
 ほほほ、と笑う爺。しばいたろか。
 にしても、
「あいつがジャック……なのか?」
『ん? なにかの?」
「いや、なんでもねぇ」
 どうやら、爺には聞こえなかったらしい。まぁ、爺だしな。耳遠いんだろ。
『……そろそろ、仕事に戻るかの。良夜、あまり無茶はするな』
「ん? ああ、わかったよ」
『ではまたの』
 それを最後に受話器から音が聞こえなくなる。切ったみたいだな。
 俺は受話器を置き、ボックスから出る。すると、沢山の音が耳に入ってくる。
 車の走行音。流行りのCMソング。親の名前を呼ぶ迷子の声。
 煩わしいな……。
 それらに対しそんな風に思ったあと、俺はすっかり暗くなった空の下、ゆっくりと歩き出した。


 ◆少女side


 明りのない薄暗い部屋の中に、男の声が響き渡る。
「――プチビックバン誤爆事故計画は残念ながら失敗しました。しかし、これからが本番です!」
 わたしはその声に不快感を覚えて、ひどくイラついた。
 五月蝿い。
「正直、今回の案は捨て駒でした。ですが、次の計画は違います」
 五月蝿い。
「次は! 次こそは! みなさんの力でぶっ壊していただきます!」
 五月蝿い。不快だ。
 わたしは、その声のあまりの不快さに思わず瞑っていた目を開く。
 見ると、一人の男が、わたしの仲間たちよりも一段と高いところに立っていた。
 ブランド物のスーツを着て、不愉快な笑みを浮かべている。
 不快だ。
「みなさん! あいつらを見返してやりましょう! 今こそ立ち上がる時です!」
 五月蝿い。
 だが、今回だけは従ったやる。今回だけ。
 それが終わったら……お前も殺す。
 そう誓ったあと、わたしはもう一度目を閉じた。

 
 ◆


 朝日が差し込む。
 見えるのは白く清潔感溢れる――つまり引っ越し前と全く変わっていない――天上、じゃなくて天井。
 うむ、朝だ。
 俺はまだボーッとする頭を、無理矢理動かし起き上がる。
 にしてもダルいな……頭痛いし。
「なんか、悪い夢でも見たのかもな」
 一人納得して、壁に掛けてある時計を見る。
 八時二〇分。ふー、まだこんな時間か…………は?
 もう一度、時計を見る。
 変わらず八時二〇分。うん、始業一五分前。
 ……遅刻しそうです。
「マジかよ!」
 くそっ! なんて中途半端な時間に起きたんだ! もっと遅い時間に起きれば仮病使って欠席したのに!
 そんな不毛なことを考えながらも、体は素早く動く。
 顔を洗いながら思う。
 嫌な始まり方だなぁ――。


 朝の遅刻騒動から一三分後。
「はぁ、はぁ、はぁ」
 俺は学校の自分の席でくたばっていた。
 まぁ、全速力だったから当たり前と言えば当たり前なのだが。
「はぁ、……はぁー」
 だいぶ息も整い、周りを見る余裕が生まれる。
 うん、普通だ。いつも通り(というほど来ていないが)だ。
 そんな風にまったりのんびりしてると、
「大丈夫ですか? だいぶ疲れているみたいですけど」
 美夜が俺の机の前に立つ。普段の凛とした雰囲気に、さらに気遣いの色が込められている。
「ああ、大丈夫だ。少し走っただけだから」
「そうなんですか? あまり無茶をなさらないでくださいね」
 そう言ってほほ笑む。可愛いな。
 そんな感じに、俺が美夜から出るマイナスイオン的な癒しオーラに和んでいると、
「お前ら、席つけー」
 片桐先生が入ってきた。
 もう少し遅く来ればよかったのに……、なんて思ったのは胸の奥底にしまっておこう。


「ふむ、全員座ったな? ……よし。
 まず最初に一言。プチビックバンの件、本当にすまなかった」
 全員を座らせた片桐先生はまずそう言い、頭を下げた。
 突然の行動に騒然とする教室内。
 まぁ……そりゃびっくりするわな。先生に非はないし。
 俺がそんなことを思っていると、また先生は口を開く。
「今回の事故……いや、不祥事は完全に朱雀側、つまり、あたしたち教師と研究員側にある。
 本当にすまない」
 そう言ってまた頭を下げる。
「ただ、今回幸いにも死亡者は出なかった。まぁ、多少の怪我人は出たが、あの実験で死亡者〇は僥倖ぎょうこうだ。
 ……それも夏目が魔法を使っていてくれたからだ。
 夏目、朱雀側の代表として言わせてもらう。
 本当にありがとう」
 いえいえ、どういたしまして。
 ……なーんて、余裕ぶって言えるはずもなく「え……いや、その……大したこと、ない、です」とぼそぼそ答えて終わる。
 だって仕方ないじゃん! 先生が礼言って、こっち見たあと、他のクラスメイトがこっちガン見してんくるんだから。普段人前に立たない身としてはビビるしかない。やべ、手震えてきた。
 俺がクラスメイトに慄いていると、先生は再び喋り始める。
「まぁ、そんなわけだ。不祥事に関しては以上。
 ……ふぅ、謝るのは性に合わないな」
 そう言って首を横にふりふり。やれやれってことか?
 まぁ、確かに合わない。泣いてる方が似合うな。
 ……慣れって怖い。
「ま、それは置いておくとして、お前らに二つ、お知らせがある」
 瞬時にクラス内(俺も含め)に疑問符が浮かぶ。
 また、なんか厄介事か?
 周りのクラスメイトも俺と同じことを思ったらしく、何人かは露骨に嫌な顔をしている。
 例えば凪とか。額に手を当てて溜め息。
 美夜もそこまであからさまではないものの、苦笑いしている。
 新夜は目をつぶり、微動だにしない。
 秋奈は……もちろんニコニコしてる。
 弐村は退屈そうだ。人差し指の先っぽに火ぃ点けて遊んでるし。
 俺? 俺はいつも通り周囲を観察してる。
 そんな友好的とはとても言えないクラスの雰囲気に、一瞬たじろいだものの、片桐先生は頑張って言葉を紡ぐ。
「まず一つは明日から本格的に魔法の指導を始めること」
 クラス内の空気に変化が起こる。
 つまり、嫌な空気から友好的な空気へ。
 それに気を良くし、もう一つのお知らせを言う片桐先生。
「そして、指導するためにデータを取りたいので、明日から全学年合同の魔法調査を始める」
 瞬間、クラス内が鎮まる――と思ったら爆発した。
 ぐぁ! 耳いてぇ!
 ……なんか、前もこんなんあったな。
 その爆音の中、片桐先生は声を上げる。
「はーい、静かに、静かに!
 たく、少しは落ち着きな。まぁいいや、連絡これだけだから」
 んじゃ、授業頑張れよー、と出ていく先生。
 ちょ、おい、収拾してけ!


 結局、それから一限が始まるまでずっと騒がしかったとさ。ちゃんちゃん。


 ◆


「まったく、いつまで私を閉じ込めておくのかしら?」
 思春期の少女にする対応じゃないわね、と愚痴る殺人姫の少女。
 愚痴ると同時にじゃらじゃら鳴る鎖。
 その姿は着ている服装も相まって、非常に『殺人姫』の名がよく似合っている。
 『僕』がそんなことを思っていると、隣の『彼女』が噛み付くように少女に話しかける。
「たりめぇだろ。お前みたいな危ないやつ放っておけるかっつうの」
「あら、私は見た目通り、可憐でひ弱な少女よ?」
「お前のどこがひ弱なんだよ」
 そんなんじゃねぇだろうが、と吐き捨てる『彼女』。
 うん、『僕』もそう思います。
 だって――


「お前は『切り裂姫ジャック』なんだからよ」


 そう言われた『殺人姫』の少女は――


「だから、なにかしら?」


 妖しく怪しく微笑んだ。






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