白を基本とした清潔感溢れる空間に、机を挟み椅子に座っている一組の男女がいる。
 二十代半ばの青年と中高生くらいの少女。どうやら、何か話し合っているようだ。
 少女は、その端整な顔を歪ませながら口を開く。
「認識誤差ですって?」
「そう、認識誤差。まあ、誤差と言ってもほんの少しだけだよ」
「……その少しで、何人死ぬと思ってるの?」
「やだな、何そんなに怒ってるのさ。たかが数十人だよ?」
「……」
「それに、妹さんを殺した君にとっては今さらでしょ?」
「っ!」
「だから君には関、係……な……」
 流暢に喋っていた青年は、いきなり口を噤む。
 不満げに少女を見ながら黙る青年。
 そして、その青年を囲むように浮かぶ数十もの刃物。
 一瞬で現れたその刃物の群れに、統一性はなかった。
 ナイフや刀、その他に剣や斧などが主で、挙句の果てにはカッターや包丁など。
 まるでバラバラで、統一性なんてあったものではない。
 しかし、その群れにもひとつだけ共通しているところがあった。
 攻撃しようとする意思。
 本来、無機物である刃物に意思など存在しない。
 が、それらには禍々しい殺意が確かにあった。
 さっきまで顔を嫌悪で歪ませていた少女は、今度は一転、無表情で口を開く。


「――殺すわよ?」


 直後、空気が凍る。
 少女の言葉にまるで全てが怯えてしまったかのように。
 少女の、刃物の群れを超える殺意に恐怖するように。
 全てが止まる。
 青年も。刃物も。
 空気さえも凍る殺意の中、やがて少女は口を開く。
「……今回は仕方ない。やるからには成功させることね」
 そう言うと少女は立ち上がり、出口に向かい始める。
 そして出口から出る直前、少女は青年の方に振り向く。
 そこでようやく消える刃物の群れ。
 そのことに安堵する青年に、少女はさっき以上の殺意をぶつける。
 顔を真っ青にしながら硬直する青年に、少女は低い声で警告する。
「……次に『シズカ』のこと言ったら殺すわよ?」


 8 プチビックバン


 魔法が発見されてもうだいぶ経つが、何も魔法だけが進歩したわけではない。
 むしろ魔法の歩みは遅い。魔法学(魔法に関する基礎的な学問)の第一人者であるダニエル・ブランチャードが死んでから、これといった研究者が生まれていないからだ。
 そのため、世間一般では魔法はまだ浸透していない。
 代わりに科学の進歩は目覚ましい。
 核無効化装置。部分生成クローン。そして魔法機器。
 これらは科学技術の結晶として、世界中に知れ渡っている。
 特に魔法機器は魔法に多少なりとも関連しているので、世界中の人間が興味を持っている。
 そして小規模宇宙爆発プチビックバンはその魔法機器の中でも5本の指に入るほど有名で、同時に珍しいものであった。


 五時間目、俺は小規模宇宙爆発の見学のため学院の東側に位置する技術棟に来ていた。
 周りには当然、多くの生徒がいる。
 俺の周りにいる生徒は興奮しているのか、騒がしい。ていうか鬱陶しい。
 ぎゃーぎゃー騒いぎやがって。たかが実験なのに……小学生か! そんなに騒ぐんなら俺も乗ってやるよ!
 はい、今俺たちB組(+A組)は技術棟に来てまーす。なんと、これからプチビックバンの実験があるんですよー。楽しみぃー。
 …………鬱だ。
 くそ、なんてテンション高いんだ!
 周りのテンションに合わせようとして失敗した俺は、周りからそっと目を逸らす。すると、みんなを黙らせるために必死に声を上げる片桐先生が視界に入ってきた。顔を真っ赤にして大きな声を出している。
「お前らぁ、静かにしろ! いくら珍しいたって騒ぎすぎだ!」
 同感だ。
 しかし、そんな俺と片桐先生の思いを無視し、生徒たちは騒ぐ。
「聞いてんのか! しゃべるな、さわぐな、無視するなー!!
 ……ねぇ、あたしの話聞いてる!? 静かにしてよ! お願いだから無視しないでよー! ねぇねぇー!」
 みんなに無視され続け、泣きそうになる先生。心なしか言動が幼児化してる。
 さっきまでの強気はどうしたんですか!?
 顔をクシャっと歪め、涙声で少しかわいそうだ。
 でも先生、その顔、正直可愛いだけです。
 俺が生徒として間違った、しかし男としては当たり前の感情に悶々としていると、新夜が生徒の間を抜け、ゆっくりと前に進み出た。
 そして片桐先生の隣に立つと一言。
「みんな、静かにしよう。これじゃあ、いつまでたっても見れないよ?」
 瞬間。あたりの喧騒が消える。新夜の一言で、嘘のように静かになった。
 ……どんだけ、慕われてんの。
 さっきまで騒いでいた生徒は、全員静かに新夜を注視していた。
 目には様々な思いが浮かび上がっている。
 畏怖。思慕。嫌悪。好意。
 それらの思いがいろんな人から発せられている。
 まぁ、ほとんどが好意的なものなんだけどな。中には……ね。
 そんな視線の嵐の中、静かになったのを見計らって新夜は堂々とした風に言う。
「……よし。じゃあ、行こう」
 そう言って、ゆっくりと歩く新夜。
 それについてく俺たち。
 それが当然のように、新夜が先陣を切り、俺たちが後に続く。
 ていうかA組の先生も俺たちの中に混ぜってるよ。あんたは先頭に行け!
 そして、取り残されたのは……、
「――あたしが先生なのにぃ、うう、ぐすっ」
 隅っこでいじけていた片桐先生だけだった。

 
「えぇー、プチビックバンは危険度Aランクの大変危ない実験です。確かに珍しいものではありますが、朱雀の生徒として分別を持って接してください。いいですね?」
 はぁーい、と響く声。
 その声ににっこりと微笑むA組の担任、新村にいむら
 それにきゃー、と女子たちの黄色い声。
 新村はさわやかな感じのイケメン(死語か?)でまだ若く、女生徒に人気がある……らしい。ちっ!
「どうしたんですか? 良さん」
 俺が新村に鋭い視線を送っていると、隣にいる美夜が声をかけてきた。
「うん? いや、なんでもないよ」
「そうですか? やけに険しい顔してましたけど」
 と言って、眉を寄せる。
 美夜は、新村を睨みつけていただけの俺のことを、本気で心配しているようだ。
「いや……ほんとになんでもないから……うん……」
 本気で心配してくれる美夜に対し申し訳なくなってくる。
 ほんと、なんでもないから……なんか、ごめん。
「そうですか……ならいいんですけど……。
 あ! そろそろ始まるみたいですよ」
 美夜はまだ納得いっていない感じだったが、職員の始まりを告げる声に居住まいを直した。
 俺も自然と前を向く。
 見ると、生徒たちの前には、新村・片桐先生の担任コンビにプチビックバンの管理人、長谷部はせべ研究員けんきゅういんがいた。
 医者が羽織るような白衣に、理知的な印象を与える黒縁眼鏡。担任コンビの隣で退屈そうにしている青年が長谷部だ。
 先生たちの注意が終わり、次に長谷部がゆっくりと口を開く。
「これより小規模宇宙爆発を始める。貴様らも分かっていると思うが、これは危険な実験だ。本来、貴様らのような餓鬼がきが見ていいものではない。
 しかし、日本魔法連合の糞ジジイ共が、経験だ見せてやれ、とか抜かすから見せてやる」
 その理知的な風貌に似合わない乱暴な口調で、長谷部は俺たちに説明し始めた。
 乱暴な口調に思わず驚くが、周りの生徒にとっては普通らしく平然としている。どうやらこれが地のようだ。
 まあ、そんな長谷部の説明によると、
 一、今回の実験は日本魔法連合の指示があるので、小規模宇宙爆発の周りに魔法を張り、ギリギリ近くで見てもらう。
 二、とりあえず、危険なので間違っても魔法に触れないこと。
 三、魔法機器は繊細だからデバイスを使うな。
 とのことらしい。
「……随分、厳重ですね」
 デバイスを使うな、の辺りで、美夜が眉をひそめた。
「何で?」
「いえ、デバイスは個人のオドが使用されるのは知ってますよね?」
「ああ」
「だから、使っちゃいけないと言うのはおかしいんです」
 ……俺、デバイス、旧型使ってるからよく分からないんだけど。
「ごめん。説明してくれ」
「えぇ!? ……ああ、そういえば良さんは旧型でしたね」
 面目ない。
 俺がそう言って頭を下げると、美夜はクスリと微笑みながら丁寧に説明してくれた。
「えっとですね。新型デバイスというのは――」
 美夜曰く「新型デバイスで使われるオドは、魔法で使うのとは違って弱く影響がない」とのことだ。
 例えるなら、魔力というのは光。身近なもので言うなら、魔法で使うオドは太陽光、デバイスで使うオドは懐中電灯だ。
 周知の通り、この二つは明るく、どちらも照らすものだ。
 しかし、だからと言ってこの二つはまったく同じものだろうか? いや違う。
 どう考えても太陽光の方が強く明るい。対して懐中電灯は暗い所では明るいが、太陽の下では点いているかすら分からない。
 この太陽光と懐中電灯の関係に、魔法で使うオドとデバイスで使うオドの関係はよく似ている。
「つまり魔法に、デバイスを使う程度のオドは、全く影響がないんです」
「なるほどな……」
 確かに気になる。けど……
「あんまり関係ないんじゃないか?」
「そうでしょうか……」
「俺は関係ないと思うけどな。それにここは朱雀だぞ? 大丈夫だって」
「そう、ですね」
 と言いつつも浮かない顔をしている美夜。
 俺は美夜のそんな顔を、八年前はよく目にした困り顔と重ねつつ、横目でじっと眺めていた。


「では、実験を始める」
 準備ができたのか長谷部が厳かにそう言った。
 あれから三十分近く経ち、その間美夜はずっと浮かない顔をしていたが、長谷部の声にやっと表情を緩ませる。
 どうやら考えがうまく纏まったらしい。良かった。
 そんなことを考えていた俺の耳に、長谷部の詠唱が届く。
「――固定し、引き止め、立ち塞がれ。全てを断ち切り、守り切れ」
 朗々と響きわたる声。
 それに呼応し、何もない空間にうっすらと膜のようなものが張られる。
 膜は円形で、半径五メートルほど。
 どうやら、あの膜の中心地点に小規模宇宙爆発が起こるらしい。
 長谷部は出来上がったそれを満足そうに眺めた後、こちらを向き喋り始める。
「これはAランク特殊魔法結界系の『封陣』だ。効果はご想像の通り、中のモノを外に出さないためのもんだ。まあ、Aランクだからたいがいのもんは防げる。
 が、正直、こいつでもキツイかもしれねぇ」
 そう言って、ふぅと溜め息をつく。
 不安か焦燥か、あるいは未練か。
 どれにせよ、長谷部は憂鬱そうだ。
「はぁ、それじゃ始めろ」
 その声に動き始める他の研究員たち。
 うん、いたよ? ずっと端の方で機械いじってた。
 研究員たちの方を見ると、忙しそうに動き回っている。
 しばらくすると、膜のある方からバチッと音がした。
 あわてて研究員たちの方から視線を剥がし、膜の方を見る。
 すると、膜の中心地点になにか黒いものが集まっていた。
 なんだ、ありゃ?
 そんな俺の心に答えるように、長谷部が説明し始める。
「あれは擬似的なエネルギーだ。小規模宇宙爆発と言っても、その時の威力や熱量が分かるだけだからな。一応、あれは高密度なオドで出来てる」
 その説明の間にも大きくなっていくオド。
 得体のしれない黒いものが大きくなっていく様は、ある意味壮観だ。
 それは時間が経つにつれ大きくなり続け、やがて約直径一メートルほどになった。
 ……すげぇな、おい。
 唖然とする俺。
 そんな俺に美夜が話しかけてくる。
「……初めて見ましたけど、すごいですね」
「……ああ」
「どうなるんでしょう?」
 俺に問いかけるな。分かんないって。
 そう言おうとした瞬間、


 背中を鋭い殺気が撃ち抜く。


「ッ!」
 バッと背後に振り向く。が、いるのは幾人かの生徒だけ。
 何もない。しかしそれでも、殺気の嵐は止まらない。
 背中に冷や汗が流れる。
 そうだ。この殺気、俺は知ってる。でもそれより遥かに強く濃い。どういうことだ?
「どうしました?」
「え? あ、いやなんでもない」
 美夜に声をかけられ、前に向き直る。
 それでも冷や汗は止まらない。
 この程度の殺気、普段ならどうってことない。
 が、今は危険度Aランクの実験途中。ホントにヤバい。
 くそっ! 最悪のタイミングできやがって!
 俺はぎりぎりと歯を噛み締める。が、悔しがってる暇はない。
 俺は急いでデバイスを取りだし、電源を入れる。
 早く早く早く!
 やっと起動し、メモ機能にしたところで、
「異常発生! エネルギー収束が止まりません!」
 研究員の声が響く。
 その声に反応する長谷部。
「なにやってんだ! 非常時状態エマージェンシーモードに切り替えろ!」
「エラーです!」
「くそ! だったら――「暴発します!」
 刹那。
 俺の視界は真っ白になった。


 



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