深夜、少年と少女が向き合って座っている。
 大きな暖炉の置いてある部屋で、お互い自分の座っている椅子に体重を預けながらリラックスしている。
 どうやら談話室のようだ。
 少年たちは両方とも顔に疲労の色が滲んでおり、今すぐにでも眠ってしまいそうな雰囲気だった。
 しばらく無言が続いたあと、少年がダルそうに口を開いた。
「……疲れた……」
「……そんなに疲れたんなら、さっさと自分の部屋に戻りなさいよ」
 少女もダルそうに答えた。
「そうなんだけどさ……良夜がいない部屋見ると、余計テンションが下がるんだよね」
「……は?」
 少女の顔が怪訝そうに歪められる。
 少年はそれに気づかずに、語り続ける。
「なんていうかさ、僕の生活って基本良夜が中心だからさ、こう、寂しいんだよね?」
「……」
「なんか心に穴があいた感じなんだよねぇ」
「……」
「こうモヤモヤした感じっていうかさ。会えなくてつらいんだよ……。
 ん? どうしたの楓?」
 ボーっと口を動かしていた少年は、そこでようやく少女が顔を青くしているのに気付いた。
 少女は滝のように汗をかきながら、挙動不審に目を動かしている。
「あ……」
「あ?」
「あんた……」
「何?」
「あんたはどこの恋する乙女なのよぉぉぉぉぉぉおお!」
「うわあ!」
 がばっと立ち上りながら少女が吼える。
 恐ろしい剣幕だ。背後に鬼が浮かんで見える。
「何よ心に穴があいた感じってモヤモヤした感じって会えなくてつらいってテンション下がるって寂しいって意味わからないし笑えないしそれじゃあまるであんたが良夜のことを好きみたいでもちろんアタシには関係ないし良夜のことなんて好きじゃないし興味もないけどでもだからと言って全く無関係じゃないしってあーもう!」
 ノンストップ。まさに怒涛の勢いで叫びつくすと、今度は頭を抱え始める。
 少女のその姿に怯えながらも、少年は恐る恐る声をかけた。
「か、楓さん?」
「アレン!」
「はいぃ!」
「あんた、良夜のことどう思ってるのよ!」
「えっ?」
「だ・か・らどう思ってるのよ!」
「好きだよ」
「……Pardon?」
「いい発音だね」
「そこじゃないわよ! もう一回訊くわ、アンタは良夜のことどう思ってるの?」
「だから好きだよ」
「……」
「良夜って優しいし、強いし、かっこいいじゃん」
「……アンタは男なのよ? そして良夜も!」
「そりゃそうだよ。楓ったら何言ってるの? おっかしいなぁ、ははは」
「……ブッツブス……」
「ご、ごめん。えーと僕は友達として好きなんだよ? それ以外意味はないよ」
 苦笑いする少年。
 しかし少女はジト目でその笑みを睨みつけながら、
「……嘘」
「うぇえ!? ほ、ほんとだよ!」
「じゃあなんで頬を赤らめてるのよ!」
「あ、赤らめてないよ!」
「……確かにあんたは見た目背低くて、顔も女の子っぽい童顔で、声も高いかもしれないけど、男なのよ!?」
「し、知ってるよ! だから別に良夜のことは…………」
「……ことは?」
「ことは……」
 そのまま少年は口を噤んでしまう。頬を赤く染めたその姿はどこから見ても恋する乙女のそれである。それが少女の気に障る。
 自分にはない可愛らしさ、何より素直さがそこにあるから。
「早く言いなさいよ」
「う……」
 また押し黙る。
 時間が少しずつだが、確実に過ぎていく。
 やがて、
「す、好きだよ!! 友人として! 親友として!」
 少年はやけくそになりながらも叫んだ。その顔には悲愴感が浮かんでいる。
 少女はその様子を見て、驚きに目を丸くする。
「ア、アレン?」
「ほんとにそれだけなんだよ! だからそんな目で僕を見ないでよぉぉぉぉおお!」
「あ! アレン待ちなさい! は、速! どんだけ必死なのよ! あ、ちょ置いてくなぁー!」
 少年(?)は少女を置いて談話室から走り去って行った。
 それを慌てて追いかける少女。
 ……夜は更けていく。


 7 日常


「つまり、ここにxを代入し、yを使うことで――」
 片桐先生の声がクラスに響く。
 他の生徒は板書をノートに書き写す。
 そして俺は――
「……うう」
 くたばっていた。
 今は四限で、数学の時間。
 つまり俺、いや、全国の大半の学生が苦手とする時間だ。
 それなのにこいつらは、カリカリカリカリ――
「どんだけ集中してんだよ……ペン動かすの速すぎだろ……」
 はぁ、と溜め息を吐く。
 まったく授業についていけない。
 いや、本来ならついていくことはできたはずだ。
 それが弐村との戦闘の所為で駄目になっちまった。
「やっぱ、一週間も休んだからかな……」
 元々、朱雀の勉強は、そこまで難しいわけではない。
 偏差値が特別高いわけでも、授業のペースが早いわけでもない。
 もちろん、国を代表する進学校ではあるが、それなりに勉強すれば、成績をキープすることなんて簡単だ。
 が、それはあくまでも勉強すればの話。
 俺のように、入学式の次の日の戦闘で怪我をし、一週間も学校に来ないような生徒がついていくなんて、不可能に近いのだ。もともと勉強も嫌いだし。
「はぁ……」
 またも溜め息を吐く。
 俺は今とってもメランコリーだよ……。
 あーあ、昨日は変なヤツに絡まれるし、勢いでそいつの腕折っちゃうし、家に帰ったら麦茶ないし……
「……運悪いなぁ」
 誰かぁ、俺の心を癒してくれー。
 俺がそんな感じで、心の中で愚痴っていると、突然黒板に板書していた片桐先生が振り向いた。
 そして、こっちを見たまま動かなくなる。
 な、何だ? もももももしかして、声に出して愚痴ってた?
  俺が、背中に冷や汗をかきながら焦っていると、やがて先生はゆっくりと口を開いた。
「……これで、授業を終わりにする」
 俺の焦りを返せ。


「良さん、一緒にご飯食べませんか?」
 四限が終わり、さあこれからお昼だよ、という時間に、美夜は太陽のような笑みを浮かべながらそう提案してきた。
「めし?」
「はい、ご飯ですよ」
 素晴らしい笑顔。
 こう、キラキラしてる。マイナスイオンでも出てるみたいだ。
 体に良さそうだなー、とか俺が思っていると、美夜は不安そうに見つめてきた。
「ダメ……ですか?」
「へ? いや、大丈夫だよ」
「本当ですか! ……良かった」
 心底安心した、とでもいうように安堵する美夜。
 うん、やっぱりキラキラしている。
 そんな感じで俺と美夜が話していると、秋奈と凪も会話に参加してきた。
「ねぇ! 秋奈も一緒に食べたい!」
「私も一緒がいいわ」
 そう言ってくる秋奈と凪。
 一方は楽しげに、もう一方は無表情で。
 俺は突然の参加表明に驚く。
 何? 一緒に食うの?
 俺の疑問に答えが出ないまま、当然のように話が進んでいく。
「じゃあ、どこにします?」
「う?ん、どうしよっか」
「……食堂とかどうかしら?」
「食堂ですか……私はいいですよ」
「秋奈もいいよー」
「じゃあ、行きましょうか」
 そう言って三人は歩き出す。
 どうやら食堂で食べるらしい。
 まぁ、別に食堂でいいさ。
 ただ一つだけ言わせて。
 俺に意見訊こうよ……。


 ◆


 朱雀の食堂はでかい。
 どのくらいかって言うと、とても。
 え? 分かんない?
 じゃあ、すごく。
 いい加減にしろ? だって他になんて言えばいいんだよ。
「このあと、なにするんだっけ?」
「確か、技術棟で魔法実験の見学ですよ」
「……ビックバンの小規模実験……だったかしら」
「そんなの見れるなんていいなぁ」
 俺の思考(現実逃避ともいう)を断ち切るように姦しい声が響く。しゃべっているのは、秋奈あきな美夜みやなぎ、そして何故か一緒にご飯を食べている陸郷ろくごう先輩せんぱい
 話してる内容は、この後にある魔法実験『プチビックバン』。
 名前だけ聞くと駄菓子とかにありそうだが、実体は滅茶苦茶危険なランクAの実験だ。
 だってビックバンだし。
「それにしても、そんなの一年生に見せて大丈夫なのかなぁ」
「でも、片桐先生は大丈夫と仰ってましたし、安全なんじゃないんですか?」
「それに設備も一級品だ、って言ってたわよ」
「んー」
 納得いかない……というよりも心配している感じの陸郷先輩。
 ていうかタメ口ですか、凪さん。
 まぁ、陸郷先輩がタメ口でいいって言ったんだけどね? ほら、普通は躊躇ためらうじゃん。
「ゆみちゃん先生も大丈夫って言ってたんだし、OKだよ、しおぽん」
 ……今のは秋奈。
 うん、普通に凄いよね秋奈。確かに、しおぽんって呼んでねって言ってたけどさ……。ちなみに秋奈は片桐先生、いやそれどころか他の先生方にもアダ名をつけて呼んでる。一応、先生とつけてはいるけど。
「……んー、それもそうだね」
 しぶしぶといった感じに納得する陸郷先輩。
 本当にしぶしぶって感じ。
 ……自分は関係ないのに、ここまで心配するなんて優しいねぇ。
 俺がそんな感じにしみじみしていると、
「あ! 先輩方ここで食べてたんですか!」
 声をかけられた。
 食事を中断し、後ろを見ると、見知らぬ一人の少女が立っていた。
 いや、訂正せねばなるまい。
 一人の可愛らしい少女が立っていた。あれ? なんかデジャヴ。と言いたいところだが、本来の意味とは違うので言わない! ……ごめん。以前言いました……。
 でも、可愛らしい美少女というのは本当だ。幼さが残る整った顔立ちに、なめらかな乳白色の肌。小柄だが、それが少女にいい具合にマッチしている。少し眠たげに細められた目も、可愛らしさをアピールしていた。文句なしの美少女だろう。
 が、パッと見、目につくのはそこじゃない。
「えと、おはようござい……じゃなくて、こんにちはです!」
 そう言ってガバーと頭を下げる少女。それに伴い揺れる、膝裏まで届こうかというほど長い白銀の髪。
「「「「こんにちは」」」」
 俺以外の四人に挨拶を返してもらい、そこでやっと顔を上げる。そして、挨拶を返さなかった俺を見る淡紅色の瞳。
 先天性白皮症アルビノ
 先天的に、メラニンの生合成に支障をきたす遺伝子疾患。
 症状としては、髪の色の変質、虹彩などの変色、視力の弱さなどがあり、他にもいろいろな症状がある。
 同時に、現代においてある種のステータスでもある。
「もしかして、特別授業だったのかしら?」
「あ、はい。さっきまで魔力の分析実習でした!」
「すごいねー。やっぱりPSI候補生は違うねー」
「いえ、それほどでも」
 そう言いながらも嬉しそうに笑う少女。華やかだなー。
 そう思いながらも、頭の片隅に引っかかる言葉。
 PSIサイ候補生こうほせい
 ――PSI。
 正式名称【Person who has Special Inspiration】、和訳だと【特別な霊感を持つ人】という意味で、国家魔法士の中でも特別な力を持つ者に与えられる称号だ。そして、その8割がアルビノであり、同時に特殊魔法機動隊に所属する者が多い。
 だからアルビノは、魔法士にとってステータスというのは有名な話だ。
 その候補生というのは、朱雀でも特別な意味を持つ。
 例えば、特待生。あるいは、特化型魔法士。
 つまり、普通の魔法士とは違う存在だということである。
 その『特別な』少女が、魔法に関して落ちこぼれの俺に、真剣な表情で質問してきた。


「……あなた……誰ですか?」


 ですよねー。
 当然だ。だって俺も彼女が誰か知らない。
「俺は参……夏目なつめりょうだ」
 あぶなっ。本名言いそうになった。
「あなたが、あの! わたしは水瀬みなせ愛歌あいかです、よろしくです!」
 そう言って手を出してくる愛歌。
 何? 金出せってことか?
「お近づきの印に握手するです! あと愛歌って呼んでください!」
「え?……ああ、よろしく愛歌」
 がちっと握手する俺たち。
 愛歌はにっこりと。
 俺は困惑気味に。
 そんな俺たちを見て、陸郷先輩がぽつりと呟く。
「私たち……空気だねー」
 ……そういうことは、言わなくていいんですよ。
 俺がそう心の中でツッコんだ瞬間、
「一年で、これからプチビックバン見学のクラスの生徒は、技術棟に移動してください」
 五時間目開始の合図が発せられた。


 



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