沈みかけた太陽が世界を紅く染める。
 それは、一種の芸術品のようで見る者を魅了する。
 昼と夜の境目。見る者を狂わせ、異形が動き出す時間。
 人は古来、それを『逢魔時』と呼んだ。
 そんな一種の異界の中、一人の少年が魅了されることなく、目的地に向かって歩く。
 それは少年が強いのか、それとも少年も異形なのか――どちらかだろう。
 やがて、少年は目的地に着いた。
 そこは公衆電話。誰かに連絡を取るのだろう。
 少年は特徴的な黄緑のボックスの中に入り、ボックスと同じ色の電話機に十円を入れる。
 待つこと数秒。
 どうやら相手が出たようで、少年が喋り始める。
「爺、よくもやってくれたな」
 少年は爺と呼ばれる人物にご立腹のようだ。
「知らなかった、だぁ? 嘘つくな! 知っててやったんだろうが!」
 何かに嵌められてしまったのだろうか?
「お前のせいで明日戦うことになっちまったじゃねえか! 良かったの、じゃねぇ! どうすんだ、俺は魔法使えないんだぞ! 体術だけで戦えって言うのか? お前なら勝てるじゃろ、ってマジで体術だけでやんのか? おい!」
 ずいぶんと揉めているようだ。
 しばらく、少年と爺と呼ばれる人物の言い争いが続く。
 やがて、
「……はあ、わかったよ、やるよ。やればいいんだろ?」
 と言って少年が溜息を吐く。
 どうやら少年が折れたらしい。
「うん、うん、わかった。……わかった、またあとで連絡する」
 そう言って少年は口を噤む。
 何かを躊躇するような表情。
 それは、ガラスを割ってしまったことを親に言おうか迷っている小学生を思わせる。
 しばらくためらったあと、少年はゆっくりと、怯えるように口を開いた。
「……俺は許されるのかな?」
 今にも泣き出しそうな顔。震える声。
 しかしそれは次の瞬間あっという間に崩れる。
「はあ? お前のプリンなんか知るか! 俺が言いたいのはそう言うことじゃねえ!
 ……もういいや。いやなんでもない」
 少年は疲れたような、それでいて憑きものが落ちたような清々しい顔をしている。
 そのあと二言三言言葉を交わし、少年は受話器を置いた。
 ボックスから出た少年はすっかり暗くなった道を歩き出す。
 その背中にさっきの悲愴感はなく、かわりに力強さだけが浮かんでいた。


 4 決闘


 俺は学院に向かい門をゆっくり、できるだけゆっくりくぐる。
 無駄な足掻きだと知りながらもやめられない。
 ……昨日、あのあと五人のほかにクラスメイト、さらに戻ってきた片桐先生までもがやることに賛成してきた。
 ここまで来るとやらなければいけない感じだし、下手に刺激してマークされては依頼に支障が出るかもしれない。
 ということでやることにしたのだが……、
「……はあ」
 めんどくさい。
 しかも十貴族の序列二位『弐村』が相手だ。町のチンピラとは訳が違うし、なにより『アレ』が使えない。
 今も持っている『アレ』が使えないということは素手での戦闘、もしくは『札』を使って戦うことになる。
 正直、疲れるし、あまり手も抜けない。
 そのくせ本気は出せないというジレンマ。
 ……溜息が出るのはしょうがないだろ?
「……はあ」
 もう一度溜息を吐く。
 俺がそんなふうに己の現状に頭を痛めていると、
「おはよう! りょうくん!」
 誰かが声をかけてきた。
 声で誰かわかったし、この幼い感じの喋り方は学院での知り合いに一人しかいない。
 案の定後ろを見るといたのは、
「……ああ、おはよう」
「もうちょっと秋奈みたいに元気だせないの? 元気に行こうよ!」
 本当に高校生かと疑ってしまうほど幼い言動の壱川秋奈だった。
 正直、言動とか小学生といい勝負だと思う。
 しかしその容姿は驚くほど大人びている。
 ブラウンの髪は肩のあたりで綺麗に揃えられており、まつ毛も丁寧に整えられている。目もとはやわらかく母性的な魅力を放ち、肌も白く美しい。当然、顔立ちは整っている。
 さらにスタイルも抜群。はい、ここ重要! たとえば、美夜がモデル体型なら、秋奈(あのあと名前で呼ぶことを強制されたが、それはまた別の話)は完全なグラビアアイドルの体型だ。こう、ボン、キュッ、ボン、て感じ(死語かな?)。
 つまり、中身と外見が完全にアンバランスなのだ。
 そんなアンバランス秋奈は何が楽しいのかニコニコしている。今にも踊りだしそうな勢いだ。
「いや?今日の午後楽しみぃ!」
 ……痛いとこをピンポイントで抉ってきた。
 しかしここまで楽しそうにしているのを見ると怒るに怒れない。
 俺はそんな楽しそうな秋奈を横目で眺めつつ、もう一度嘆息した。


「そいじゃ、次、闘技場行ったあと今日のメインの弐村対夏目の実戦演習するぞ!」
 そうテンション高めに叫ぶ片桐先生。
 今、俺たちは午前の施設案内の真っ最中。さっき技術棟や大体育館をまわり、今闘技場に向かっている。
 あ、ちなみに昼飯は俺たち早めに食べた。
 片桐先生曰く、「そんくらい、いいでしょ」とのこと。お前は本当に教師か?
 そんなふうに片桐先生の先生としての品格を疑っていると、
「はい、第一闘技場到着?」
 ……着いてしまった。
 俺は思考を止め、前を見ると、綺麗な彫刻のあるでかいドーム型の建物があった。どうやら、これが第一闘技場のようだ。
「ここは主に実戦的な演習や校内大会などで使われる。かなり強度があって、ちょっとやそっとのことじゃビクともしない。
 隣の第二闘技場は個人練習や普通の授業で使われる」
 簡潔に言うと片桐先生は闘技場に入っていく。
 あまりの短い説明に一瞬、俺たちは呆然とする。
 が、説明が終わりだとわかり、先生に慌ててついていく。技術棟でも同じことが何回かあったので、今日五度目だ。
 中に入ると、意外とでかいことに驚いた。さらに観客席まである。
 どんだけ金使ってんだよ。
「さて、さっそく戦ってもらうぞ! 弐村、夏目」
 楽しそうに叫ぶ片桐先生。
 ちょ、マジでやんの?
 横目で弐村を見る。
 すると、ちょうど弐村もこっちを見てきた。
 交差する視線。
 そして次の瞬間お互い、同時に逸らす。
 しかし、それでもわかったことがある。
 それは弐村に引く意思がないこと。
 よくわからないが、何かを決意した強い気持ちがあることだけはわかった。
 ……はあ、仕方ないか。
「じゃあ、弐村、夏目中央の白線のとこに立て」
 どうやら始めるみたいだ。
 じゃあやるか! ……と言いたいところだが『アレ』が使えない俺は基本的に徒手空拳で戦うことになる。
 つまり体一つで戦うのだ。
 当然危険も増える。
 戦闘での怪我ならともかく、準備不足が原因での怪我は勘弁願いたい。
 なので、
「……すいません。ちょっと準備させてください」


 ◆参崎新夜side


 今から僕の親友のアルことアルフレッドが、謎の外部新入生の夏目君と実戦演習を始める……はずだったんだけど、夏目君が「準備したい」と先生に待ったをかけた。
 それが今からちょうど一〇分前の出来事。
 僕たちやクラスメイトたちが観客席に座る中、二人はお互いの方法で準備をし始めた。
 アルはいつものように精神統一。
 つまり、目を閉じひたすら自分の中にある魔力を体に馴染ませている。三流から一流まで幅広く扱われる方法だ。
 対する夏目君は準備体操。
 えっ? って思うかもしれないけど本当に準備体操をしている。今も軽く走ったあと、足首を回し調子を確かめている。
「……なにあれ? ふざけてるの?」
「う?ん、ちょっとあれはないかもね」
 僕の隣では凪と秋奈が、夏目君を批判している。
 あまり人のことを批判するのは好きじゃないんだけど、今回は凪たちに賛成したい。
 普段ならともかく、今から戦うのは僕の親友なのだ。
「……良さんには何か考えがあるんです」
 そう言ったのは美夜。
 だけどそう言った美夜自身から自信の無さが感じ取れる。
 どうやら美夜も困惑しているらしい。
 当然だろう。
 ここは魔法学校だ。つまり、扱うのは当然魔法。
 それは演習だろうが実戦だろうが同じ。
 僕たち魔法使いが扱うのは魔法だ。
 ならば試合前の準備も当然魔法をうまく扱えるようにコンディションを整えるようなものになる。
 それは一流でも三流でも同じだ。
 だからこそ、今夏目君がやっているのは悪ふざけ以外の何物でもない。
 周りの生徒も同じことを感じているらしく、「ふざけんな!」とか「弐村負けんなよ!」とヤジを飛ばしている。……主にアルを応援する。
 ある意味クラスが一致団結する中、夏目君もアルも全く反応せずに準備をしている。
 そんな状態がさらに五分ちかく続いたあと、
「んじゃ、始めるからお前ら用意しろ。
 よし、準備はいいな?
 ……んじゃスタートだ!」
 片桐先生によって戦いの火蓋が切って落とされた。


 ◆


 片桐先生の合図と同時に弐村と俺はお互いから離れる。
 その間に先生も闘技場の端っこに移動する。
 それを見届けてから弐村を見ると、ちょうど魔法を発動させている。
「来い、魔法刀『神立弐位丸かんだちにいまる』!」
 そう弐村が叫んだ瞬間、弐村の足元に直径三メートルくらいの魔法陣が現れる。
 魔法陣とは転移系の魔法を使ったときに現れる円形の陣だ。
 空間が歪曲し、情報が改変された証。
 そして、今弐村が使ったのはおそらく転移系魔法『物体取り寄せアポーツ』。
 遠くにある物を自分のところに出現される初歩魔法の一つ。
 魔法陣の中から一本の刀――おそらく『神立弐位丸』が現れる。
 弐村はその柄を掴み、一気に引き抜く。
 現れたのは、一本の美しい日本刀。
 鞘はなく、刀身と鮮やかな紅色の柄しかない。
 刀身は鋭く光り、時折赤く染まる。
 弐村はそれを上段に構え、
「行くぞ」
 振り下ろした。
 瞬間、剣先から紅蓮の炎がほとばしる。
 炎は五メートルくらいあった距離を一気に詰め、俺に猛然と襲いかかる。
「くっ!」
 俺はそれを右に跳んで避け、弐村に向かって駆け出す。
 その勢いのまま突貫。顔に向かって正拳突きを放つ。
 しかし、弐村はしゃがむことで避け、立ち上がる勢いで下から斬り上げてくる。
 俺は刀を横から蹴ることで逸らし、蹴った左足に体重を乗せ、右足で回し蹴りを放つ。
 それを片手で阻まれる。
 しかし、俺は止められた右足を支点にし回転。その勢いで踵落とし。
 が、それもバックステップで回避されてしまう。
 バックステップしながら弐村は、
「燃え盛れ、紅蓮の劫火」
 詠唱。さっきより強い炎が俺を襲う。
 なんとかそれを左に跳んで回避。
 一旦距離を取る。
 離れながら俺は心の中で毒づく。
 くそ! 弐村の奴、俺を殺す気か? 
 本来、こういった演習などの場合、相手を殺害しないよう使っていい魔法は最高、危険度Bランクまでと決められている。が、大体はみんな最高Cランクくらいしか使わない。Bランク以上なんてそれこそ警察や軍の人間、あるいは国家魔法士しか使わないのだ。
 今、弐村が使ったのはBランク普遍魔法『獄炎』の詠唱簡略。
 そんなもんくらったら普通に大怪我もんだぞ! なに考えてんだ!
 俺はありったけの不快感を乗せて睨む。
 しかしそんな俺に目もくれず、
「紅をまとえ、焔走ほむらばしり」
 さらに詠唱する弐村。
 瞬間、刀身が炎に包まれ、炎の刃になる。
 Dランク普遍魔法『焔走り』。
 対象物に炎を纏わせる魔法。しかも簡略だ。
 弐村は俺との距離を数歩で詰め、横薙ぎに炎を纏った刀を振るってくる。
 それをしゃがんで避ける。頭上でゴウッ! という凄まじい風切り音。
 俺はしゃがんだ状態から勢いをつけて掌底を放つ。
 しかしそれは体を反らすことで避けられた。
 次の攻撃に移――ろうとするがやめ、後ろに回避。
 瞬間。
 さっきまで俺のいた位置に刀が突き刺さり、炎が迸る。
 あっぶねぇ……かわしてなかったら食らってたな。
 にしても、やっぱり体術だけじゃつらいな。仕方ない、『札』使うか。
 俺は『札』を使うことを決意すると、準備するために弐村から一気に距離を取った。

 



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