2 学院
どこまでも青い、いや、蒼い空の下、俺はゆっくりと学院に続くでかい門をくぐる。
流石は朱雀と言うべきか、門は滅茶苦茶がっしりしている。さらに所々墨のようなもので、魔法の術式が描かれている。たぶん何らかの防護、または警報のようなものだろう。目で見える分でこれなのだから、見えない術式も相当あるに違いない。
俺は、朱雀の厳重な警備に目を見張りながら、同時にこんなところにテロリストがいるのだろうか? と真剣に考えを進める。
こんなに厳重なのだ。教師も一流の魔法使いに違いない。
そんな場所にテロリストがのこのことやって来るだろうか?
しかしその思考も門をくぐり終えたとたん、あっという間に消えてしまう。
「おいおい……」
俺は、驚きを通り越し、呆れすら覚えた。
でかい。ひたすらでかい。正直、ここまでする必要あるのか? と疑問に思うくらでかい。
門と塀で見えなかったが、校舎もかなりの大きさがあった。よく見れば、西洋建築物独特の雰囲気や美しさがあるのだが、大きすぎて、すべて押し潰されてしまっている。
一言で表すと、圧倒的だ。
そう、綺麗に配置されたレンガとコンクリートの緻密さも、それらが表す模様の美しさも、四神のひとつで学院名にもある朱雀の紋とLの組み合わさった堂々とした校章も、そして校舎に向かって歩く幾万の人々さえも。
この圧倒的な気配に押しつぶされていた。
俺がしばし呆然としていると、ちょんと何かが肩に触れてきた。
校舎に威圧されていた俺はその突然の感触にびっくりして、
「わひゃあ!」
……とても情けない声を出してしまった。
バツが悪くなり周りを見ると、何人かが俺を見てクスクス笑っていた。その様子に今更のように羞恥が込み上げてくる。
だ、だってしょうがないじゃん! こんなん見せられたらびっくりするじゃん! 仕事柄いろんなとこに行くけど、こんなでかいの初めてなんだよ!
と俺が心の中で自己弁解していると、
「あ、あの……」
背後から遠慮がちな声が聞こえてきた。
なんだ? と訝しく思いながら振り向く。すると一人の少女が立っていた。
いや、訂正せねばなるまい。
一人の絶世の美少女が立っていた。
腰まで伸ばした艶やかなストレートの黒髪に、どこまでも澄んだ瞳。スッと通った鼻、ふっくらと柔らかそうな唇、それらが絶妙な位置で配置された美しい顔。スレンダーなモデル体型で、どこか神秘的な美しさを持ち、凛とした雰囲気をこれでもかと言わんばかりに周囲に放っている。どこをとっても完璧な美少女がそこにいた。
俺が少女の美しさに金縛りにでもあったように硬直していると、少女も俺の方をじっと見つめた。
硬直する俺とガン見してくる少女。
しばらくなんとも言えない不思議な空間が発生する中、先に口を開いたのは少女の方だった。
「えっと……何かお困りですか?」
声も透明感があって、耳に心地好い。
「え?」
「いえ、門の方で立ち止まっていらっしゃったので」
どうやらこの少女は、校舎に威圧されていた俺をなにか困っている新入生かなにかだと思ったらしい。
素晴らしい人格の持ち主だ。楓だったら「なに、ボサッとしてんのよ!」とか言いながら跳び蹴りしてくるに違いない。うん、あいつの場合、本気でやりそうで怖い。
そんなくだらないことを考えていると、少女が不思議そうに見つめてきた。
おっと、いかんいかん。
「あ、えっと、にゅ、入学式の場所が分かんなくて」
「それでしたら私も行くところですし、ご一緒しませんか?」
「え? いいんですか?」
「ええ。大丈夫です」
「じゃあ、お願いします」
少女は噛み噛みの俺を気にすることなく、それどころか笑顔で案内をしてくれると申し出てくれた。やっぱり素晴らしい心の持ち主だ。
俺は少女の申し出をありがたく受け取ると、二人並んで歩きだした。
「これより、第一二九回日本国立朱雀エルフィード学院高等部入学式を開催します」
静かな会場――どうやら、体育館らしい――に涼やかな女性の声が響き渡り、入学式が始まった。
今、俺は所狭しと並べられたパイプ椅子の一つに座っている。なんとか睡魔に負けないように頑張っている真っ最中だ。こういうかたっくるしい式とかはいつも眠くなる。
ちなみにさっきの少女はいない。なにやら「兄と友達と待ち合わせしているんです。ごめんなさい」ということらしく、会場に着いたときに別れた。もちろんお礼は言った。
その後、会場の入り口で受付カードをもらい、空いている席を見つけて座り時間を潰し、今入学式が始まったというわけだ。
しばらく何事もなく式が進んだが、
「――――続きまして、新入生挨拶」
と司会の先生が言った瞬間、静かだった会場がざわつき始めた。
いきなり、なんだ?
周りのおしゃべりに耳を傾けると、「今年の新入生挨拶、あの天才だってよ」「マジ?」「あ! あのカッコイイ人だよね」「そうそう! マジ良かった!」「十貴族なんだろ?」「ああ、そうらしい」「チッ! またあいつか」などなどいろいろ聞こえてきた。
天才? 誰だそりゃ。
俺が一人、首を傾げているいると、一人の男子生徒が壇上に登った。
背は俺とあまり変わらない。が、少し長い焦げ茶色の髪に、二枚目でアイドルみたいな顔立ちをして、堂々と代表挨拶をしている。
確かにモテそうだ。現に、何人かの女子生徒がうっとりした顔でその男子生徒を見ていた。
くっ! ちょっとカッコイイからってぇぇぇぇえ!
などと、俺(+その他男子)が嫉妬していると、代表挨拶が終わったらしく男子生徒は壇上から降りていった。
ムカつくことに降りる姿もカッコ良かった。
ちくしょぉぉぉぉぉお!
嫉妬している間に、司会の先生の涼やかな声が響く。
「続いて、クラス発表したいと思います――それでは、お持ちの受付カードをご覧ください」
言われて見ると、カードにはさっきは無かった『B』という文字が浮かび上がっていた。
B組ってことか?
説明によると、一学年一二クラスで、一クラス三〇人。クラス編成はランダムで、特に優劣があるわけではないらしい。
「――今、表示されているアルファベットが組です。そのクラスが一年間過ごすクラスです」
B組で決まりらしい。別に不都合があるわけではないが。
その後も式は淡々と進み、特に問題は起こらずつつがなく終了し、俺の学院生活は味気なくスタートした。
◆
私は八年前、最愛の兄を失った。
いや、別に亡くなったわけではない。行方不明になったのだ。
しかし、それでもたいして変わらないだろう。
この国――日本では、魔法の発見により、いくつもの憲法や法律が改正された。例えば、失踪宣告は、生死不明の状態が七年間続いてからだったが、五年に短くなった。
つまり、私の兄――
参崎良夜は三年前に死亡したことになっている。
この事実は参崎家とそれに親しいものはみな知っている。
現にもう一人の兄――新夜兄さんは、そのことを認めてしまっている。
他にも、幼馴染で同じ十貴族の
壱川秋奈や
伍塔凪も認め、私に忘れるように言ってくる。
しかし、それでも私――
参崎美夜は最愛の兄を忘れることはできなかった。
2 学院(参崎美夜side)
私は今日、名門朱雀エルフィード学院高等部に進学する。
だからといって、特に緊張することもない。
なにせ、中等部からの内部進学なのだ。緊張しろ、という方が無理だ。
というか、昨日も来たから緊張できないんですよね……。
私は、そんな取り止めもないことを考えながら門をくぐる。
見えてくるのは、とてつもなく大きい校舎。
初めて来た人なら威圧されてしまうような存在感を放っている。
しかし、それは初めて来た人限定。初等部から通っている私にはまったく関係なく、むしろ安心感を与えてくれる。
そんな学院に向かって歩いていくと、一人の男子生徒が立っていた。
背は私より少し高いくらいで、私と同じ一年生を示すブルーのラインの入ったブレザーを着ている。
なにか困ったことでもあるのか、まったく動かない。
普段ならスルーするところだけど、正直、入口の前に立たれると迷惑なので声をかけることにした。
いきなり話しかけるのもどうかと思うので、肩を軽く叩く。
「わひゃあ!」
……驚かせてしまったようだ。
男子生徒は声を上げたのが恥ずかしかったのか、少し俯くと周りを見回し、笑われているのに気づくとさっきよりも深く俯いてしまった。
……も、もの凄い勢いで罪悪感が湧いてきます。
私はその罪悪感をなんとか無視し、
「あ、あの……」
と声をかけた。
すると、男子生徒はやっと振り向いてくれた。
男子生徒の顔が見えてくる。
瞬間。
私は頭の中が真っ白になった。
……良夜、兄、さん……?
目に軽くかかる程度の黒髪に、そこそこ整った人の好さそう顔立ち、どこか人を安心させるような雰囲気。
私の中の兄さんをそのまま大きくしたような人がそこにいた。
たぶん、新夜兄さんや秋奈たちは分からないだろう。誰よりも兄さんを見てきた私だから気付いたのだ。
それでも、やっぱり、確信は持てない。他人の空似かもしれないし、なにより八年前に姿を消してしまっているのだ。
でも……もしかしたら。
思わぬサプライズに混乱する私は、少し経ってようやく兄さん似の人がジッとこちらを見ているのに気付いた。
あわてて話しかける。
「えっと……何かお困りですか?」
「え?」
「いえ、門の方で立ち止まっていらっしゃったので」
なんとか平静を保って話すが、心臓がばくばくいってる。心なしか声が震えている気がした。
私が勇気を出して話しかけたのを聞くと、兄さん似の人は急に頬を緩めなにか考えはじめた。
ど、どうしたんでしょう?
私の視線に気付いたのか、兄さん似のひとはあわてた様子で私の質問に答えた。
「あ、えっと、にゅ、入学式の場所が分かんなくて」
と言うことらしい。
困っているなら助けるべきだし、びっくりさせた罪悪感もある。
なにより、兄さんかもしれない。
それらの感情が私を後押しした。
「それでしたら私も行くところですし、ご一緒しませんか?」
「え? いいんですか?」
もちろん、いいに決まっている。
「ええ。大丈夫です」
「じゃあ、お願いします……」
兄さん似の人も了承してくれたので、二人で並んで歩き始めた。
また心臓が騒ぎ始めたのは言うまでもない。
その後、兄さん似の人と体育館のところで別れた。
少しだけ名残惜しかったが、新夜兄さんや秋奈たちと待ち合わせしていたので別れて、今、私は秋奈たちとの待ち合わせ場所に向かっている。
五分くらい歩き続けると、ようやく待ち合わせ場所が見えてきた。
どうやらみんなもう集まっているらしい。
私が急いで駆け寄ると、みんなも私に気付いた。
「遅いよ、みーちゃん」
「ごめんごめん」
真っ先に口を開いたのは、幼馴染兼親友の秋奈だった。
秋奈の文句を皮切りに、
「美夜なんかあったの?」
「大丈夫かい? 美夜」
と凪と新夜兄さんも口を開く。みんな心配してくれたみたいだ。
ありがとう、とみんなにお礼を言ってから、事情を説明する。もちろん兄さん似の人のことは伏せて。
言えば、どんな反応するか分からないし、秋奈や凪は何故かあまり兄さんのことが好きではないからだ。
事情を説明し終えると、新夜兄さんではないもう一人の少年が口を開いた。
「庶民のことなんてほっときゃいいのに」
と悪態をついてくる。
少年の名前は
弐村・アルフレッド。十貴族
序列二位の弐村家の御曹司だ。
十貴族とは、日本で最も力を持つ魔法使いの十の家系のことで、日本の魔法界最高峰に君臨する集団だ。十貴族は、序列一位『壱川』、序列二位『弐村』、序列三位『参崎』、序列四位『肆空院』、序列五位『伍塔』、序列六位『陸郷』、序列七位『漆草』、序列八位『捌風』、序列九位『玖頭』、序列十位『什紋字』の十の家系で成り立っており、絶大な権力を持っている。
アルフレッドはその序列二位の弐村の次期当主。そのため、自分たち十貴族とその他の人たちとの差別がひどく、私はあまり好きではない。
私の不満げな視線に気付いたのか、アルフレッドは不機嫌に問いかけてきた。
「なんだよ?」
「いえ、単純にそういう発言は控えた方がいいですよ」
「んだと?」
「そういうは発言は控えた方がいいですよ」
睨みながら問いかけてくるアルフレッドに、同じことを言う私。
もしかしたら今、私たちの間には火花が散っているように見えるかもしれない。
私たちの険悪な雰囲気に気付いたのか、新夜兄さんがあわてて声をあげる。
「あ、もう入学式じゃないかな? うん、もう入学式だ。ほら、遅れたら困るし、僕は代表挨拶があるから早く行こう。ね? みんな」
それに便乗するかのように、秋奈と凪も
「そ、そうだね! しんちゃん、早く行こう」
「そうね、美夜もアルも行くわよ」
と言って歩き出してしまった。
アルフレッドも「チッ」と舌打ちしながらもついていく。
私もゆっくりとみんなのあとを歩く。
少しだけ良夜兄さん似のあの人のことを考えながら。
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